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水口麿紀ヒストリー

植物や絵を描いたり物を作ったりするのが好きな子供だった


大阪生まれで、周りに緑がなかったけど、植物が好きで、小さいときから絵を描いたり、物を作るのが好きな子供だった。
絵は、もともと好きだし得意だったが、普通の絵を描くことが、深い部分での思いに、合わないように感じて、インスタレーションやオブジェを創り始める。アートにしか興味がなく、映画や芝居もアートのために見ていたような気がする
 

西宮で阪神震災にあい、奈良、隼人族の村、金剛山の麓に移住


 1995年、西宮で阪神大震災にあい奈良に移住する
九州の隼人族がつれてこられた奈良の阿多村には、古い神社や自然がいっぱいだった。
この村には、九州、阿多隼人のシャーマン阿多姫、コノハナサクヤ姫が祀られていた。
引っ越した当日、阿多姫と思われる人が夢に出てきて、次の九州への移住につながることになる。
 誰にも会いたくなく、スピリチュアルなことや、大いなる存在について考え過ごす。
川口さんの自然農を学ぶ。自給自足の大切さを感じ、お米を、自然農で作ってみる。
引っ越しした当日、引っ越した当日、阿多姫と思われる人が夢に出てきた。

エネルギーの針を受けることで封印していた力が解放される


地震のあと、知り合いに誘われて、四国の女の人のエネルギーの針の治療を受けることになった。
祈りや唄、ボイス、ヒーリング、自動書記、リーディングなどが始まる。

ホピ族のメサで、地球を慈しむ心が芽生える


ホピ宇宙からの聖書という本を読んで、ホピの人たちに会いたいと思い、1997年ニューヨークでグループ展をすることを機に、アメリカに6か月滞在して、セドナに滞在したり、ホピ族の居住地で、ホームスティをさせてもらったりした。
泊まるところもわからず、美術館の外で出会ったホピの少年の家にホームステイさせてもらい、その中の一人に、おじさんがシャーマンだという人がいて、会いに行った。 そのシャーマンはいなくて、子供たちがいて、私に色なことを問いかけくれた。後でわかったことだが、そのシャーマンと子供たちは私にエネルギーを送ってくれていたみたいだ。
私は阪神大震災のあと、自分では気付かなかったがかなり消耗していたようだ。アメリカから帰った後、みんなにとも元気そうだといわれた。
また、セドナで、アーティストであるだけではなく、ヒーラーでもあるといわれる、自分のミッションについて考えるようになる。
ホピの村で、メサの岩場で過ごすし遠くに見える風景、雷や嵐を見たりするうちに、ネイティブの精霊たちが、私の心の中に入り込んできたような気がする。また、ネイティブの人が夢で私の枕元に立ち、色んな物語を語ってくれた。
そのころから、頭ではなく心から、母なる地球を、慈しみたいという思いが、起こってくる。

 
 

スピルチュアルコミュニィティ、フィドフォーンについて


1997年イースターの時に、 スコットランドの、フィドフォーンのコミュニティに行き、ワークを受ける。
フィドフォーンはアイリーン、ピーター、ドロシーがトレーラーハウスから始めたスピルチュアルなコミュニィティで、アイリーンは、天使の導きを受け、ピーターは神智額の考え方から行動し、ドロシーは自然界の精霊の導きで、野菜を育てる。
食・エネルギーの自給自足ができて、さまざまなワークが体験できるコミュニィティです。 こんなコミュニィティを日本に作りたいと思う。

2000年九州宮崎に移住する


住んでいたところの自然が壊され始めたので、九州の宮崎、7戸しか住人がいない北郷町の河原谷、かや葺きの准文化財指定の家に住む、初めて、薪風呂を焚いたり、集落のいろんなことをすることになり、おばちゃんたちから田舎暮らしを鍛えられる。
ここの嶽岳神社には、隼人族のルーツである海幸彦が祀られている。
隼人族の阿多姫の導きを感じる。
 

魂のルーツ、霧島高千穂の峰の麓に引っ越す


霧島高千穂の峰の登山口にあたる高千穂河原を見た途端、涙が止まらなくなった。私の魂のルーツの場所に戻ってきたと実感する。
宮崎都城、高千穂の峰の麓に引っ越し、今に至る。

レインボーカラーのエネルギーアートを描き始める


自動書記で描いた絵をアートにしてみようと思いつく。
最初は色鉛筆で曼荼羅の様なものを描いていたが、そのうち水彩画で、ピンク(赤)、青、緑、紫、オレンジ、黄などの色が順番に出てきて、最終的にレインボーカラーの絵を描くようになった。
私のチャクラを開いたり、癒しているのだと思い描いていたが、ヒーラーたちやチャネラーから、絵にエネルギーがあるといわれるようになる、また、その効果を実感する。
自分のアートの制作以外に、一人一人が歓びに溢れて魂の本質を生きることのサポートをしたいと思い、魂リーディングをしたり、魂の色で、それぞれの方のオリジナルの絵を描き始める。

色んな命を大切にして地球と共存する生き方


2018年から、レインボープロジェクト霧島、コミュニィティの場、レインボーハウスを何人かの人達と古民家をリフォームして、運営を始める。
レインボープロジェクト霧島は、心と体の癒しと、創造活動をレインボーハウスを中心として、コミュニィティ活動をしています。
将来的には、いろんな人が集まるエコビレッジを創りたいと思う。
地球と共存していく暮らし方、食べ物やエネルギーの自給自足、自然農 自然食、体のこと、ヒーリング、アートの創作を実践し、宿泊しながら、経験ができる場、又、スピリチュアル、心のことを互いに学べる場を霧島高千穂の峰の麓に創りたいと思う。
 

愛の星、地球につながるコミュニティ創り


これから、地球のそこそこに、目覚めた人々によって、地球や色んな命を大切にして暮らす、歓びに溢れたコミュニィティ、地上楽園が作られことだろう。 
それぞれのコミュニィティから、人々のハートから、すべての聖地から光の柱が立って地球を覆い、宇宙の中心からやってくる、虹の光に守られて、地球は、歓びにあふれた愛の星になることだろう。

工房ミルトスの生活


猫や鶏たちと植物の世話をしながらアートを制作をし、楽しく暮らしています。
ミルトスガーデンはたくさんの植物がはびこり、様々な存在たちや精霊たちが守ってくれている癒しの場です。

工房ミルトス
 
工房ミルトス
 

歓びにあふれた愛の星、地球になるための私のミッション


んなが、すべての命が幸せになる世界・愛の星・地球をめざして、私は源の愛と光の絵を描いて地球に広める。そして、私の生き方や、魂リーディングやオリジナルエネルギーアートなどを通じて、一人一人が歓びに溢れて生きることをサポートします。

年表

1956年

大阪生まれ。小さいときから絵を描いたり物を作るのが好きだった。植物が好きで縁日で植木市を見るのも楽しみだった。

1983年

個展等で1年に1・2回アートの発表をはじめる。絵はもともと好きだし得意だったが、普通の絵を描くことが深い部分での思いに合わないように感じて、インスタレーションやオブジェを創り始める。アートにしか興味がなく、映画や芝居もアートのために見ていたような気がする。

1995年

西宮で阪神大震災にあう。奈良隼人族の村や金剛山のふもとの村に移り、川口さんの自然農を学ぶ。自給自足の大切さを感じ、お米を自然農で作ってみる。スピリチュアルなことや大いなる存在について考えすごす。エネルギーの針の治療をうける。体が動いたり、ヒーリングをしたり、祈りをしたり、自動書記のような現象が起こる

1997年

ニューヨークでグループ展をする機会があり6ヶ月滞在する。その間にネイティブのホピ族の居住地でホームスティをさせてもらったり、セドナに滞在したり、スコットランドのフィドフォーンのコミュニティに行きワークを受けたりする。ホピの村で聖地の岩場で過ごすうちに、ネイティブの精霊たちが私の心の中に入り込んできたような気がする。そのころから頭ではなくこころから、母なる地球を慈しみたいという思いが起こってくる。フィドォフーンは食・エネルギーの自給自足ができていて、さまざまなワークやスピルチュアルなワークが体験できるコミュニィティである。何のために生きるのか自分のミッションについて考え始める。

2000年

住んでいるところの自然が壊され始めたため、自給自足ができ自然が残る水のきれいなところを求めて宮崎に移る。北郷町の河原谷の150年以上前の農家に住み、お米作りやアート活動を始める。昔ながらのコミュニティではなく、新しい形のコミュニティを創りたいと考える。

2002年

霧島の高千穂の峰、祈りの場である高千穂河原に、魂のルーツを感じ、高千穂の近くに引っ越しをする。以前から、地球全体を祈りや愛で、つつめるようなことができないかな、と思っていたが、アメリカのアフガン攻略が始まり、アーティストの立場から、県内外のアーティストに呼びかけて、愛と平和の祈り展を企画する。平和を求める人々が、多いのに気づく。

2003年

愛と平和のアート展、2回目を、アート仲間、何人かで企画する。

2005年

色鉛筆と水彩絵の具で自動書記的な絵を描き始める。
2006年

大阪で一人暮らしをしていた母を引き取り、一緒に暮らし始める。

2009年

水彩画の発表をはじめる。描いている水彩画のエネルギーが強く、細胞を活性化したり、治療効果がある、人生を好転させると何人かの方に言われる。エネルギーアートを皆さんに見て、感じていただくことで、心と体のエネルギーを高め、チャクラを開き、エネルギーヒーリングを行っているのではないかとおもう。一人一人が、本来の魂の輝きを取り戻していくことで、この地球も人も5次元に移行していけるのではないかと思う。全国でエネルギーアートの展覧会をしたいとおもう。

2011年

1月26日 霧島の新燃岳の噴火。
3月11日 福島の地震、原発事故。
3月16日 母、死去。

7月 原発は絶対に止めなくてはと思い、映画ミツバチの羽音と地球の回転の上映を企画する。

2013年

脱原発運動も大事だが、新しい暮らし方、システムを暮らしの中で実践していくことの大切さを感じる。コミュニティハウス、将来的には、いろんな人が集まるエコビレッジを創りたいと思う。地球と共存して行く暮らし方、食べ物やエネルギーの自給自足、自然食、体のこと、ヒーリング、そしてアートの創作を実践し、宿泊しながら、経験ができる場、又、たましいのこと、私たちが本来持っているエネルギーのことを、互いに学べる、コミュニティハウスをつくりたいと考える。魂が、本当に、願うことをしていきたいと思う。そして、愛し愛され、互いに、慈しみあい、助け合う関係を作っていきたい。そして、生きることを楽しみ、歓びにあふれて、アートを創りたいと思う。そうした中から、コミュニティハウスや、エコビレッチができれば良いと思う。

2017年

9月 プロジェクトの一環として「アートと音楽でつなぐ虹色祭り」開催。

2018年

共同農園で、無農薬・自然農で様々な作物をつくる。
工房ミルトスの近くの民家をかりて、レインボーハウス (コミュニィティハウス)作る。シェアルーム、カフェ、コミュニィティスペース。
10月よりオープン。
10月 レインボープロジェクトの一環として
「アートと音楽でつなぐ虹色祭り」レインボーハウスにて開催。

2019・20・21

レインボープロジェクトの一環として
「アートと音楽でつなぐ虹色祭り」レインボーハウスにて開催。

2022年

共同農園の野菜中心のレインボーカフェオープン。
コミュニィティ活動をしながら、植物や動物の世話をして、絵を描くことを楽しみ、毎年、全国で何回か、エネルギーアートの発表をして今に至る。